小説・映画 深読みブログ

人間に忘却と、それに伴う過去の美化がなかったら、人間はどうして生に耐えることができるだろう。 -三島由紀夫-

はじめまして

小説・映画 深読みブログへようこそ。
私は案内人の 天音 と申します。
どうぞよろしくお願い致します。

それではさっそく、当ブログについてご案内させて頂きます。

現実と非現実の狭間

私達が住む世界を現実とするなれば、小説や映画の世界は当然非現実となります。
それがどんなに生々しく、現実的であっても。
私達はそれを良く理解しています。
あくまでフィクションだと。

私達の世界と小説や映画の世界は、ある種の壁、あるいは窓硝子のようなもので仕切られています。
私達はその窓から、向こう側の世界を覗いているに過ぎないのです。
しかし時に、硝子は割れる。
非現実が現実を侵し、私達には両者の区別が付かなくなります。
今まで現実だと信じていたものが、次の瞬間には非現実に摺り替わっているかもしれない。
その逆もあり得る。
そして何より、割れた硝子は元に戻らない。

ここは現実と非現実の狭間です。
そして私はただの案内人。
窓がどこにあるのか、あなたは既に知っているはずです。

深読みと妄想と

少し真面目な話をしましょう。
ブログ記事について。
当ブログではタイトル通り、小説や映画を深読みし、レビューから解説・考察等を記事にしていきます。

ここで重要になってくるのが、深読みと云う単語の尺度です。
この尺度は人によって異なるかと思いますが、私の場合、妄想だとお考え頂くのが良いかと存じます。
と云うのも、私が深読みしすぎる質であるからです。
ほんの些細な一語から、百の可能性を探る様な非常に面倒くさい性質です。
ですから当ブログ記事に記載されている解説や考察は、根拠も無ければ信憑性もありません。
つまり、私の妄想の域を出ないと云うことです。

生に耐える

生きると云うことには、苦痛が伴います。
耐え難い絶望に堕ち、決して死ぬまいと藻掻き苦しむ事こそが、生きている証拠の様にも思えてしまう程です。
私にとって苦痛の無い生き方など、人生とは思えません。
時に人間には、記憶の封印や忘却と云った能力が必要になってくるのです。

 人間に忘却と、それに伴う過去の美化がなかったら、人間はどうして生に耐えることができるだろう。

三島由紀夫

彼の死生観には非常に共感する部分があります。
それは、明日死ぬかもしれないと云うことです。
明日で全てが終わるかもしれないと考えることで、はじめて今日という生が輝き始めるのです。
死をもって生を実感する。

私が彼と異なるのは、死ではなく絶望だと云うことです。
苦痛に塗れ、心が切れ切れになることではじめて、嗚呼生きていると感じられるのです。
私は、絶望をもって生を実感する。

暗すぎますか?
この時点で私のことを暗く鬱屈としている人間だとお思いになった方は、当ブログを読まない方が良いでしょう。
当ブログでは基本的に、私が読みたい小説・見たい映画を紹介していきます。
つまり、傾向的に鬱屈とした内容の作品が多いと云うことです。

あとがき

そろそろこの辺りで、当ブログのご案内を終了させて頂きます。
必要に応じて、免責事項プライバシーポリシーお問い合わせフォームをご利用ください。
この度はお付き合い頂き、ありがとうございました。
どうぞ引き続き、向こう側の世界をお楽しみください。

 

2021年8月8日 天音
プロフィール
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